今日で平成も終わりを告げます。
元号が変わったとしても、それだけで素晴らしい未来がやってくるわけではありません。
ですが、せめて次の令和の世の中が、私たちの子供達にとって、希望が抱ける世の中であってほしいと思うし。そのために自分も微力ながら努力していきたいと思います。
今日で平成も終わりを告げます。
元号が変わったとしても、それだけで素晴らしい未来がやってくるわけではありません。
ですが、せめて次の令和の世の中が、私たちの子供達にとって、希望が抱ける世の中であってほしいと思うし。そのために自分も微力ながら努力していきたいと思います。
いよいよ、平成の終わりの日が近づいてまいりました。
平成の世は、「戦争」によって日本の国土が蹂躙されることもなく、「日本の軍隊」が「侵略戦争」を起こすことがなかった時代でした。
あと二日。
平成の世が、「平和」の時代のまま終わることを願います。
ところで、今回の事故を起こした男性は、『容疑者』として報道されないことで、話題になっており、この人の肩書や勲章を貰っていたことからネット上で『上級国民』とかいう造語が登場しています。
結論から言えば、普通の交通事故でも当事者が負傷して入院していれば、怪我の回復を待って逮捕なり、起訴なりとなるわけで今回が特別というわけではありません。
「人を殺したり、怪我をさせたやつが、なんで容疑者じゃないんだ」
「そもそも、そんなやつを治療するなんておかしい」
「上級国民は特権があるのか?」
…などと、騒ぐのは単なる「感情論」だし「妬み」だと思うのです。
こんなことを言うと「お前は血も涙もない冷血漢だ!人間とも思えん!」と、絶対にいう人が現れます。実際に今回の件では面と向かってそう罵られました。
誤解しないで貰いたいのですが、今回の事故で私自身憤りを感じている一人です。妻子を持つ身として他人ごとではないですし、もし自分の家族がそうなったらと思うと胸が張り裂けそうになっています。
でも、感情を優先させて、理性を投げ捨てるのは「法治国家」の姿ではありません。
事故を起こした当事者は、われわれが裁くのではなく、司法によって裁かれます。相応の報いを受けるのです。
「こんな事件を起こしたやつ治療せずに死んでしまえ」
などというのは、もはや殺人犯と同じじゃないですか。
「正義」「義憤」に飾り立てられた「私刑」を行うのは、法の下に生きる我々にはあってはならないこと。
感情は大切ですが、それによって冷静さを失い、間違った判断をすることがないようにしたいものです。
一日も早い当事者の方の回復、それに伴う公正な裁きが行われることを、願ってやみません。
また、亡くなられた方へのご冥福をお祈りし、今回の記事を終えたいと思います。
自動車は凶器にもなりうる。
これは、包丁でも金属バットでも、用法を誤れば凶器として使用できるのと同じです。
もっと身近ならハサミでもその辺にある電源コードでも殺人に用いることができる。
道具にはそういった側面があることを忘れてはいけないのだと。
あらゆる道具を使うときには、そういったことへの注意が大事なんだと思います。
自動車も同様ですね。
パンクをした経験のある方なら、うなずいていただけると思うのですが、自動車って重いんです。…当たり前ですが。
つまり、人間にとっては手に余るような鋼鉄の塊を、すごい力で動かしているわけです。
こんな危ないもの、一度制御を失ったら、非力な人間の力でどうすることもできません。
残念ながら現実の人間は「逮捕しちゃうぞ」の夏美さんのように「足ブレーキ」は使えませんし、仮面ライダーのように変身して自動車を片手で受け止めるなんてこともできません。…一応、平成31年4月現在では無理です。
もっとも、未来は未知数なのですが…。
かつて、私の叔父が若いころに自動車運転免許証を取得した際、当時まだ若かった私の父親(つまり叔父にとっては兄)に、こう言ったそうです。
「殺しのライセンスを取得してきた」
…この話を初めて聞いたときに、すごい冗談だと思って苦笑したものですが、いやいやこれってある意味では自動車運転免許の本質の一部ではあるなと、最近特に感じています。
つまり、老若男女問わず、自動車を運転しているということは事故を起こす可能性があるわけで、自分だけが例外ではないということ。
…もう一度言いますね。『自分だけが例外ではない』ということです。
また、歩行者だった場合も、…いえ、そもそも家の中にいたとしても、事故に巻き込まれる可能性があるわけです。こちらも『自分だけが例外ではない』ということです。
少し過去に目を向けてみたいと思います。
覚えている方もおられるかと思いますが、少し事情は違えど、子供が怪我をし、その母親が犠牲になった自動車事故がありました。
確かトラック同士が事故を起こし、はずみでトラックが飛び込んだ歩道に保育園帰りの母子がいて巻き込まれた事故でした。
この時事故を起こしたドライバーは、別に高齢者ではありませんでした。
自動車は、大変便利な道具です。
私のように地方の田舎町に住んでいると、どこに行くにも自動車がないと不便で仕方がありません。
しかし先日も、高齢者ドライバーによって幼い女の子とその母親が犠牲になる事件がおきました。
私は別に高齢者の運転について取り上げたいわけではなく、「自動車」そのものについて考えてみたいと思います。
というわけで、今週は「自動車」がテーマです。
あれこれと書いてきましたが、いま時間というものに追われる生活をしている社会人の一人として、時には『時間』というものに思いを馳せてみるのも良いのではないかと思い立って、キーボードを叩いてみました。
駄文で大変お恥ずかしいですが、普段は意識しないものにふと目をやるのもいいかもしれませんね。…もっとも、目をやっても時間は見えないんですけどね。
それでは!