そこにある狂気

今回の京アニでの事件の放火殺人犯。

放火で34人を殺害していますので、裁判になっても間違いなく死刑なのですが、これが精神鑑定とかで『責任能力なし』なら、そうはならないかもしれないわけで。

私は、人道主義者のつもりではあるのですが、死刑事態に反対の立場ではないので、明らかに死刑が相当なことを間違いなく起こしていることが確実ならば、死刑は当然なのかと思います。それが「狂人」であったとしてもね。

これが、冤罪の可能性がある…なんて場合ならいざしらず、大多数の目撃者がいて、この犯人が起こした凶行が間違いないのだから、『裁判→死刑』で構わないはず。

 

・・・で、ここからが本題。

今回主張したいのは、死刑の是非ではなくて、我々が当たり前に生活しているこの社会には、狂気を内に秘めた『外道』もまた生活しているということ。

今回の事件の犯人は

「小説をパクられた」

と主張して、凶行に走ったと。

…呆れ果てますね。おおよそクリエイターの風上にも置けない。

 

私もまた小説を書いているものの端くれとして、あくまで書き物で勝負しろと言いたい。

正々堂々と自分の『作品』で勝負すればいい。

今回、犯人が作品を発表した事実はないそうです。それなのに「盗んだ」云々いうのは妄想でしかない。

たとえ、盗作があったのなら、盗まれた作品以上の作品をもって見返すべきだ。

昔から言われますが「盗作」されたものと、「盗作」したもの、どちらの主張か正しいかを判断するために『続編』を書かせたというお話がありますよね。

言うまでもなく偽物には物語の続きを書くことができなかったわけで。

 

書いていてだんだん頭が痛くなってきますが、自分が、子供が、家族が生活しているこの世界は、一般人とは異なる理をもって人生の『道』を生きている『外道』が確かに存在する。

その『外道』からの犯罪被害を防ぐ為には、どうすればいいんでしょうね…。